なぜ、僕が。

「死にたい」が口癖である。

何かにつけて死にたいと思う。朝起きて「今日も1日が始まるのか、死にたい」と思い、昼間独りで家にいてODしながら「こんなに毎日酒と薬を飲んでるんだから早く死なねえかな」と思い、指導教官からメールが来る度に「僕何もできねえな、死にたい」と思い、夜寝る前に強い酒と睡眠薬を合わせながら「早く死にてえなあ」と思っている。

ただ、なぜ死にたいのか全く説明がつかない。どこにも理由がないのである。生きているのはただひたすらにつらいだけだし、良いことは無いし、自分に価値は全く無いのは明白で、死にたい。でも、僕の成育歴にはっきりとした要因が見当たらない。

 

僕の知り合いで頻繁に希死念慮を抱いている人は、酷い被虐待歴がある。かわいそうである。それは死にたくもなるなと思う。僕にはそれが無い。僕の両親は望んで子どもをもうけ、身体障害があり知的障害も見込まれていた僕をそれはそれは大切に温かく育ててきた。身体的に暴力を受けたことは片手の指で数えられるほど―いくら言い聞かせても僕がわがままを言い続け、どうしようもなかった時に最終手段として頭を殴られたことはあるにはある―で、悪口を言われたのは一度だけ―中学受験の時に勉強を教えていた母親が、僕のいない所で飲み込みが悪いのであの子は馬鹿だと父親に言っていたのを僕が聞いてしまった。直後僕が抗議し即謝られた―である。確かに反抗期には母親と仲が酷く悪かった。僕が不登校なのを母親が嫌って怒り続け、僕はいじめられていて学校に居場所が無かったので不登校を続け、顔を合わせれば言い争いをした。その中で僕がパニック障害を患っても「そんなの気持ちの持ちようでしょ」と言って撥ね退け、病院に繋げることを拒否した。そんな時期もあったが、僕がなんとか不登校を抜け出したあたりで不仲も改善し、また温かな家庭が戻っている。反抗期に親と不仲になるくらい誰だって経験しているだろうし、こんなのは虐待でもなんでもない。ただの普通の思春期である。僕は家族関係には大変恵まれてきた。

 

周囲の環境も良かった。両親は主に教育環境を良くしようと尽力してくれたので、僕は幼稚園は私立のアメリカンスクールに通い、小学校は海外で過ごし、中高は日本の私立に通った。特に幼稚園や小学校では、周りの友だちの親も同じような考えの人が多く教育熱心で、自然と友だちのレベルも高かった。バイリンガル、トライリンガルは珍しくなく、中学受験は首都圏の難関校を目指して勉強しているような友だちばかりだった。その中でいわゆる「できる子」になるために僕もまあまあ勉強はしていて、トライリンガルになれそうな道を進んでいたし、成績はいつもトップクラスだった。周りにも自分にも、見た目の欠陥は何も無い。

 

やりたいことはなんでもやらせてもらってきた。両親が子守代わりに買ったディズニーの英語教材が好きで英語に親しみ、幼稚園はアメリカンスクールに行きたいと言い出したのは僕だった。2歳の時に連れて行ってもらったオーケストラを聞いて「ヴァイオリンをやりたい」と言い出したらしく、3歳でヴァイオリンを始めた。幼稚園で友だちがピアノを習っているのを見て憧れ、4歳でピアノも始めた。小学校で周りが中学受験を志していたのに影響を受けて自分も中学受験がしたくなり、それも快諾された。大学受験に際して、超難関校を目指したので欲しい参考書が多く何冊も本をせがんだが、全て買ってもらえた。習い事の費用も学費も相当高かっただろうに、そして僕の家は医師でも弁護士でもなんでもなく世の平均収入世帯程度なのに、僕が望めばやりたいことはたくさんできた。子どもの頃も今も何も不満は無い。

 

なのになぜ、僕はこの生を捨てたくてしかたがないのか。ここまで書いてきてざっと読み返してみても、他人から見れば羨ましがられる環境だったことは確かだ。なのにどうして僕は今ひたすらに死にたいのか。

精神科領域でも、臨床心理領域でも、強い希死念慮を抱える人は皆成育歴のどこかに明らかな落ち込みがあると言われる。実際症例はいくつも見てきたが、皆成育歴の中に何かしらのくぼみがあって、客観的に見ればなるほどそれであなたはそうなっているのねと納得する。しかし僕は主観的にその落ち込みが無い。主観だからそう思ってしまうのか、客観的に見れば実はくぼみがあるのか、それはわからないのだが。

なぜ、僕が。僕は頻繁に、自分のはただの甘えなのではないかと逡巡する。