精神科開放入院22~33日目(退院)

〈入院22日目〉

朝から死にたみが強くてしんどく、抑うつも重くて何もできなくなった。ただ横になって天井をぼーっと見上げるのみ。

某看護師にとあるバイトにチャレンジしてみようと思っていると話したら、「東大卒がそんなことしなくていいのにー、もっと●●とかあるでしょう」と言われてだいぶ傷ついた。それってその仕事見下してるってことだよね?それに●●のバイトは僕の病状的にできないから諦めたんだよ。なんとか見つけた道を簡単に否定しないでほしかった…

夢や希望を持つ度に裏切られる。もう自分の人生に期待することをやめたい。夢を抱いても結局ただ傷つくだけだから。

 

〈入院23日目〉

昨日より死にたみはマシだけど、抑うつがまだ重い。カフェインで賦活できないかなと思って初めてモンスターエナジーを飲んだ。実際少し賦活されてゲームに手をつけることができた。

 

〈入院24日目〉

抑うつも焦燥も無くて良い感じ。

ラミクタール®が150mg(開始用量25mg)まで増えた。ラミクタール®は効いていると思う。50mgで腕を切る自傷が止まったし、75mgで涙が止まった。

 

〈入院25日目〉

退院したくなくなってきた。家に帰ったらまた死にたくて焦燥で苦しい毎日が戻ってくる。

心理士や看護師、作業療法士が軽いノリで「将来の夢は?」と聞いてきて、本当に苦しい。将来もなにも、僕はずっと病気で生きたくなくて、退学したするので学業もせず、無職でお金は稼げず、結婚できる見込みも無いから、生きる術も希望もありませんが…

 

〈入院26日目〉

病気が良くなって働いて自立したいというよりも、良くなる見込みも無いし疲れちゃったからもう早く死にたいなと思う。

人生が罰ゲームにしか思えない。いつどこでどんな悪行をして罰ゲームを受けることになったんですか?

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〈入院27日目〉

論文リジェクト退学就職失敗なんてまだ生ぬるかったのかもしれない。完璧のバッキバキに人生が壊れないと変に未練が残って良くない。飛び降りて死ぬか一生残る重い後遺症でも得ないと僕は自分に期待してしまうのをやめられない。

生きたいと思える人生が手に入る方法を僕はまだ知らない。

 

〈入院28日目〉

退院後のことを考えると死にたくなる。入院しても僕のこれからは開拓されたわけではなく、ただ1カ月延命されただけ。

 

〈入院29日目〉

ナースコールのコードで首を絞めそうで怖くて、短いコードの物に変えてもらった。変えてくださいと頼んだら、看護師が直接的な表現を使わずに「その方が(短い方が)安心?」とだけ聞いてきてそのまま変えてくれ、プロだなと思った。

 

〈入院30日目〉

主治医から「2018年より病状良くなってない?」と言われてつらかった。確かに入院回数は減ったけど、2018年頃はまだ人生の目標があって何かをする気力もあり動けていてたまに急性悪化という感じだったんだけど、今は毎日死にたい死にたいばかり考えていて何もできなくなっている。むしろ壊れているのに…わかってもらえてなかったんだなと思った。

 

〈入院31日目〉

これはとても醜いのだが、医師、看護師、事務職、Twitterのフォロワーなど働いている人や学業が上手くいっている人に対して「お前は人生なんとかなってるじゃん」と僻むようになってしまった。信じられるのは心身の不調などで休職/休学/無職の人だけ。

 

〈入院32日目〉

特記無し。

 

〈入院33日目〉

退院。

1週間後、1カ月後、1年後、自分がどこで何をしているのかまったく見えなくて苦しい。不安で押しつぶされそう。夢も希望も将来も無いし、ちょっとでも期待したら裏切られた時に傷つくだけだから、もう自分に期待なんてしたくない。

惰性で生きていくことになった。

『命に嫌われている』という曲がそのまま僕を代弁している。軽々しく死にたいだとか言う僕は、生きる意味なんて見出せず、無駄を自覚して息をしている。絶望なんて言葉でこの傷はあらわせない。

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精神科開放入院21日目

主治医と両親と僕とで面談をした。

父親はなんとしてでも実家に連れ戻すつもりでいた。「まずはゆっくり休んで…」とか言っていた。その「ゆっくり休む」っていうのは今やっているんであって「まず」じゃあないんですわ。あと父親は"休む=肉体的休息"だと思っているみたいだけど、休むというのは必ずしも肉体的に動かないことは意味せず、ストレッサーから離れて精神的に休息することを指します。理解してくれ。

母親も僕を実家に連れ戻したいけれど、母親自身が仕事の都合で21:00~翌6:30しか家にいないのを引け目に思っているので、強制的に帰って来いとは言いづらく、僕の意思をある程度尊重しますと言った。

僕の意思が固いので、最終的に僕は東京で一人暮らしをして、障害年金訪問看護、精神科デイケアなどを利用して生きていくことになった。良かった。

 

そして退院日が3月5日に決まったけど、次の通院先をクリニックじゃなくて有床病院にされて笑ってしまった。そんなのまた入院する日が来ること前提になってるじゃん…

精神科開放入院20日目

夢と現実の区別がつかない。

昨日の深夜に眠れなくてヒルナミン®を貰いに行ったのが夢だったか現実だったかわからなくて困惑している。今転換性障害(解離)で歩けないんだけど、ナースステーションに行く時立って歩いていた気がするし、記憶の中にあるナースステーションも別の病院の構造だったから、夢だったのかな。

あと、共用洗面所で大きな音をたてて痰を吐く患者がいて、別の患者が看護師に「あの音が不快だから止めてほしい」と訴えて以来音がしなくなったという夢をみた気がするんだが、実際その日以降音はしなくなり、当該患者が退院していったのか夢じゃなくて現実だったのかもわからないままになっている。

 

今日はとても仲の良い友だちと3時間くらいLINE通話して楽しかった。

 

明日、主治医と両親と僕とで面談がある。退学・無職になる僕の今後について話し合うためである。両親は絶対に実家に帰らせようとするし、主治医も実家に戻るのを勧めてくる。でも僕はどうしても実家には帰りたくない。なおこの実家、高校2年生の秋から高校3年生の終わりまでの1年4カ月しか住んでいない、あまり思い入れの無い家です。

まず、生きる手段としての自傷が全部絶たれるのが無理。腕を切ることもODすることもお酒を飲むこともできなくなったら、苦しすぎて生き甲斐もなにも無くなってしまう。でもまあこんなことは医師にも両親にも言えない。

2つ目、別に実家に帰ったところで僕の安全が保てるわけではない。確かに24時間誰にも見られることなく生活している方が比較的危ないのではあるが、実家は実家で親は21:00~翌6:30しか家にいない。無意味。夜に親がいるとお酒を飲めないので、朝起きてすぐストロングチューハイを飲みまくることになる(実際去年の7月に1カ月間帰省してた時もこれだった)。

3つ目、僕は実家で何をして過ごせばいいんですか?デイケアもアルバイトも定職も、田舎である実家よりも今住んでいる東京の方が自明に多い。東京にいれば友だちにも会える。実家でなにもせず無為に過ごすの本当に嫌。

4つ目、僕は親のことが嫌い。13歳の時にパニック障害摂食障害を発症して、親に病院に連れて行ってくれないかと頼んだら「そんなの気の持ちようだよ」と言われて、僕が実家を出て一人で病院に行けるようになるまでの5年間病気を放置させられた。そのせいでパニック障害は治らなくなってしまったし、気分障害も併発した。本当に憎い。一昨年入院した時に母親が「あの時ちゃんと病院に連れて行ってあげればよかったんです」とか言っていたが100年遅い。反省のパフォーマンスしてあの子かわいそう私かわいそうとか悦に入っていて腹が立つ。

だから実家には帰りたくない。親と主治医に反論して説得しないといけない。鬱。

精神科開放入院16~19日目

〈入院16日目〉

希死念慮と焦燥が落ち着いてきた。

 

〈入院17日目〉

看護師に勧められて集団認知行動療法に参加してきたんだけど、全部もう知っている内容しかなかった。途中のワークで過去に役立った励ましの言葉を思い返してみようと言われて、入院直前全力で死にに行っていた僕をギリギリで止めた信頼する精神科医の言葉「僕たちはいつでもあなたの味方だから  助けるから  (病院に)来てね」というのを思い出して泣きそうになった。

ラミクタール®が125mg(開始用量25mg)に増えた。

 

〈入院18日目〉

行動制限解除!病棟から出られるようになった。嬉しい。

 

〈入院19日目〉

友だちとLINE通話で喋って楽しかった。でも調子が上向きすぎて躁っぽくそわそわしてきたのでジプレキサ®を飲んだ。

精神科開放入院15日目

※14日目の日記は特筆すべきこと無し。脚がまったく動かなかったのが動くようになった。立ったり歩いたりはまだできない。食事の下膳や投薬、入浴のために車椅子で移動する僕を、廊下でほかの患者さんたちが助けてくださる。優しい。

 

朝から焦燥が酷くてずっと身体を揺らしている。ジプレキサ®でギリギリ耐える。

 

人々、みんな「自分のペースでいいから」とか言うけど無責任だよね。居場所や職があって安定している人がそれを言うのは上から目線じゃん。こっちはなにも無いから困っている。自分のペースでやったら社会的地位を失うんだけど、それをわかって言ってる?わかってないよね。優しいふりをして口で言うのは簡単で、言った側は安定していて、いいよな。

 

カンザキイオリさんの『あの夏が飽和する。』のラスト、「誰も何も悪くないよ。君は何も悪くはないから もういいよ。投げ出してしまおう。そう言って欲しかったのだろう?なあ?」が心に響く。僕はなにも悪くなかったって言ってほしい。人生を投げ出したい。

 

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精神科開放入院13日目

3:40に目覚めたきり眠れなかった。ちゃんと眠りたい。家で眠剤をお酒で飲めば割と中途覚醒無く眠れるのにな。お酒が欲しい。

 

午前中はメンタルが終わっていた。

生きたくない人間を死なせないためだけに精神病棟に閉じ込めて何がしたいの?死なせたくないだけ?僕はもう生きたくないんだけど。死なせないだけで何も助けてくれないじゃん。今後生きづらくなくなるようにしてくれたり、僕の人生を誰かが肩代わりしてくれるならまだしも。

ただ死なせないためだけに病棟に閉じ込めて生きさせようとするの本当にやめてほしい。病院の治療によって生きたいと思うようになるとも考えられない。今までは資格のため、大学を卒業するため、大学院入試に合格するため、など目標があったけれど、今の自分に目標なんて何一つ無い。

 

もっとも、午後からそんなのどうでもよくなった。脚が動かなくなってしまった。立つことも歩くことも、だいたい動かすこともできない。頭部CTを撮ったけど身体的におかしいわけではなく、つまり転換性障害(解離)。

脚が動かないことで頭がいっぱいになって、死なせてくれとかそういった方向に意識が向きにくくなった。転換性障害に疾病利得があるという説そのまんま。トイレの時に看護師を呼んで介助してもらわないといけないのはとても恥ずかしくて嫌だけど、他には全然苦しいことが無くなった。

精神科開放入院12日目

※11日目の日記は書くことが無いので省略。メンタルは安定していた。

 

昨日まで割と調子が良かったのに、また希死念慮が強くてしんどくなってしまった。死にたい、でも今入院しているから死ねない、もう嫌だ、殺して…になっている。

本当に死にたい。入院して12日経ったのに病棟から出られないの嫌だし。全部回復したふりをして「生きる希望が見出せました!就活がんばります!」と言って退院して自殺したい。

病棟から出られない状況でどうやって確実に死ねるかをぼんやり考えながら頭からシャワーをかぶっていたら25分経っていた。

 

焦燥感が酷い。ジプレキサ®を飲んで1,2時間すると少し落ち着くのが救い。