精神科開放入院4日目

就活に失敗して、資格取得にも失敗して、死ぬ宣言をしてから送られてくるメッセージがあまりにも多いと言ったが、今になってもまだたくさんのメッセージが届く。入院してまで生きているのにそれをよくがんばったねって言ってくれる人までいて、なんでみんなそんなに優しいの…となっている。僕なんかではなくて、その優しさをもっと大切な人に向けてあげてほしい。

 

みんななんだかんだ言って学業か仕事をしている。僕は何も成していない。

 

誰か一人でもいいから僕のがんばりを認めてほしかった。病気のせいで小学生の頃から10年間追い続けてきた夢を諦めざるを得なくなり、なんとか方向転換をして新しい道を見つけ出し、苦しみながら大学・大学院の単位を取り続けてきた僕の過程を認めてくれる人がいたらよかったのに…

 

入院はしたがずっと死にたいしか考えていない。『悔やむと書いてミライ』という曲の「死にたい消えたい以上ない、こんな命に期待はしないさ」「癒えない見えない傷ほどきっと瘡蓋だってできやしない」が脳内をループする。この部分以外にもこの曲のありとあやゆる歌詞に共感する。「夢も見れぬような後悔をちょうだい」、僕ももういい、夢も破れたし生きたくない、入院なんてして人生が続く夢なんか要らないから早く死にたい。

 

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精神科開放入院3日目

先週の月曜日から毎日泣いてばかりいる。もう3年くらい前から涙は枯れ果てて泣くこともできなくなっていたのに、今はちょっとしたことで涙が溢れてしまう。

 

ふと思ったが、精神科の医師、看護師、心理士にはいろいろな人がいる。患者の訴えを聞いた時に、はいそうですかと淡々と聞いていくタイプの人と、ああそれは本当につらいですねと沈痛な面持ちになる人と、普段は話を受け流しているけれどガチヤバ(今回の僕みたいに今すぐ死にますってなっている場合など)に遭遇すると一気に冷静になって介入してくる人がいる。

今回の主治医は、僕と初対面でインテーク診察をしている時に僕が唐突に泣き出したら、まったく雰囲気を変えずにただ「あ、これ使ってください」と言ってティッシュペーパーだけ出してそのまま面談を続けてきたので、その瞬間だけで結構なガチプロだと思った。

 

主治医は今の僕の酷い焦燥感をなんとかするためにもジプレキサ®を使いたいと提案してきたが、ジプレキサ®はめちゃくちゃ太るので嫌ですと拒否した。じゃあ定時薬にはしないけど頓服で出しておくから飲んでねと言われて、あまりにも死にたい衝動がつらいので飲んでみたら結構効いて、ちょっと悔しい。

 

『アイロニ』という曲の「惨めな気持ちなんか嫌というほど味わってきたし、とっくに悔しさなんてものは捨ててきたはずなのに」「欲しいものはいつも少し手には届かない」「そんな半端だとねなんか期待してしまうから、それならもういっそのことドン底まで突き落としてよ」に共感して泣いている。僕は今ドン底まで突き落とされているはずなのに、入院させられて保護されて生きてしまっている。

 

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精神科開放入院2日目

1時間とても現実感のある夢をみて、恐怖で飛び起きたまま1時間眠れなくなり、また1時間ヤバい夢をみて、飛び起きて…というのを繰り返して疲れてしまった。

自分は今武装集団に追われているんだ!と思い込んで病院を脱走し、街を逃げ回っていたのを警察に保護されて病院に戻り、看護師に「こっちが現実ですか…?」と泣きながら聞いたのが一番怖かった。僕は統合失調症ではないんだが、統合失調症で妄想に支配されてしまっている人ってこんな感じなのかなと思った。それは苦しいだろうな。

 

"食事をする≒生存する"なので食事をしたくない。

"入院する≒生存する"なので入院もしたくなかったが、50件を超えるメッセージと信頼する医師の影響で死ねなくなって結果入院してしまい、病棟内に閉じ込められたので死ぬための手段を失ってしまった。

 

死にたい衝動が強すぎてスマホの充電コードで首を絞めたいが、それをすると閉鎖病棟送りになるので耐えている。ただ、医師看護師には秘密で腕を切ってはいる。

 

どうしよう、医師は僕を生かす方向でいろいろ進めているが、僕はもう生きたくない。

治療方針として、気分安定薬であるラミクタール®を開始することになった。ラミクタール®は気分安定薬の中でも特に抗うつ効果が高い。

精神科開放入院1日目

本気で死ぬつもりだった。今度こそ飛び降りると決意していた。

 

詳細は伏せるが、僕はここ8年間ある資格の取得を目指して大学・大学院に通っていた。その資格を使って就職するつもりでいた。

しかし、まず就職活動で大きくつまずいた。僕はパニック障害という持病があり、慣れない環境で酷く不安になってパニック発作を起こし、気分が悪くなって目の前が暗くなり文字通り倒れてしまう。就職面接がとても不安だったが、職を得るためにはそれは乗り越えなければならない。だから面接はなんとかこなそうと思っていたのだが、面接場所が遠く、朝の通勤ラッシュ電車に長時間乗らないといけなくなった。心身共に耐えられず、当日の朝ちゃんと起きて準備したのに、玄関で発作を起こして動けなくなり、行くことができなかった。もうこんな状態で就職なんて無理だ、死にたいと思った。

極めつけに、1月末、資格取得の要件を満たせずに退学することを強いられた。原因は僕の体調不良に加えて大学教員によるパワハラである。8年間のすべてが無駄になった。病気を抱え入退院を繰り返しながらなんとか授業に出席し、レポートを書き、試験を受け、実験や実習をし、単位を取り、論文を読み、論文を書く…正直めちゃくちゃ苦労してきた。でも資格のためならがんばれた。なのに、資格を取れなくなった。夢は壊れた、全部無駄だった、何も報われなかった。死ぬしかなくなった。

 

死ぬことを宣言し、最期に言い残そうと思って教員からのパワハラを告発し、身辺整理をした。

 

…タイトルにもある通り、僕は死なずに入院している。

僕の状態を知った人が、僕が通っている精神科に連絡を入れたのだ。事情を知った精神科医がすぐ僕に電話をかけてきた。その精神科医が僕と無縁であれば、本気で死ぬしかないと思っていたからどうでもよかったのだが、電話主は僕が4年前に初めて入院した時からお世話になっていて僕のことをよく知っている、とても信頼している医師だった。忙しいだろうに数十分会話をしてくださり、「今、死にたい気持ちがとても強いんじゃないですか」と優しく問われた時、限界だった僕はそれを否定することがどうしてもできなかった。泣きながら「無いとは言えません」と答えるのが精一杯だった。「入院しよう、僕たちは絶対にあなたの味方だから、助けるから」と言われて、涙が止まらなくなった。

加えて、死ぬと宣言してから、周りから数えきれないほどのメッセージが届いた。友人からはもちろん、見知らぬ人からのTwitterのDMなど、寄せられたメッセージは50通を超えた。みんな優しくて「大丈夫ですか」「心配しています」「どうか救われてほしい」「簡単に『生きて』とは言えないけれど、なんとか大丈夫になってほしい」「一旦入院して休んで、それからまたこれからのことを考えませんか」などと温かかった。僕の大好きな音楽の演奏会配信を無料で聴けるようネットチケットをくださったプロの音楽家さんもいた。それが僕を躊躇わせた。

 

資格が取れないとわかった日から、狂ったように泣き続けた。数年間泣いていなかったのに涙が止まらなくなった。入院すると決まった日からは死にたいのに死ねない焦燥感で身の置き所が無く、吐き気も止まらなくなった。本当に苦しかった。

 

結局、精神科の主治医が手配してくださって、今日から入院している。閉鎖病棟でインターネットから遮断されるのがどうしても嫌で、無理を言って開放病棟にしてもらった。診察の時、「あまりにも危ないからやっぱり閉鎖病棟にしよう」と提案されても、「でも今は感染症予防のために病棟からエレベーターホールに出る扉が常時施錠されてるじゃないですか、だから開放病棟でも看護師に言わないと外に出られないし、必要なら精神保健指定医が僕に行動制限(外出制限)をかければ実質閉鎖になるでしょう」とゴネて、開放病棟を勝ち取った。実際に行動制限をかけられたので病棟からは出られない。

夕方の回診の時ちょうど部屋で泣いていて、医師が来た時に「とてもつらそうだけど」と訊かれて「生きたくないのに死ねないのがとてもつらいんです」と号泣してしまった。こんないい歳をして人前で泣くのは嫌なのに涙が止まらない。

 

そういえば今回の担当の指導医、2018年の春に過量服薬で救急搬送された時に会ったことがあるな。

 

今後どうなるかはまったくわからない。生きたくないし、希望も見えない。でもしばらく外には出られない。本当にどうなるんだろうか…

なぜ、僕が。

「死にたい」が口癖である。

何かにつけて死にたいと思う。朝起きて「今日も1日が始まるのか、死にたい」と思い、昼間独りで家にいてODしながら「こんなに毎日酒と薬を飲んでるんだから早く死なねえかな」と思い、指導教官からメールが来る度に「僕何もできねえな、死にたい」と思い、夜寝る前に強い酒と睡眠薬を合わせながら「早く死にてえなあ」と思っている。

ただ、なぜ死にたいのか全く説明がつかない。どこにも理由がないのである。生きているのはただひたすらにつらいだけだし、良いことは無いし、自分に価値は全く無いのは明白で、死にたい。でも、僕の成育歴にはっきりとした要因が見当たらない。

 

僕の知り合いで頻繁に希死念慮を抱いている人は、酷い被虐待歴がある。かわいそうである。それは死にたくもなるなと思う。僕にはそれが無い。僕の両親は望んで子どもをもうけ、身体障害があり知的障害も見込まれていた僕をそれはそれは大切に温かく育ててきた。身体的に暴力を受けたことは片手の指で数えられるほど―いくら言い聞かせても僕がわがままを言い続け、どうしようもなかった時に最終手段として頭を殴られたことはあるにはある―で、悪口を言われたのは一度だけ―中学受験の時に勉強を教えていた母親が、僕のいない所で飲み込みが悪いのであの子は馬鹿だと父親に言っていたのを僕が聞いてしまった。直後僕が抗議し即謝られた―である。確かに反抗期には母親と仲が酷く悪かった。僕が不登校なのを母親が嫌って怒り続け、僕はいじめられていて学校に居場所が無かったので不登校を続け、顔を合わせれば言い争いをした。その中で僕がパニック障害を患っても「そんなの気持ちの持ちようでしょ」と言って撥ね退け、病院に繋げることを拒否した。そんな時期もあったが、僕がなんとか不登校を抜け出したあたりで不仲も改善し、また温かな家庭が戻っている。反抗期に親と不仲になるくらい誰だって経験しているだろうし、こんなのは虐待でもなんでもない。ただの普通の思春期である。僕は家族関係には大変恵まれてきた。

 

周囲の環境も良かった。両親は主に教育環境を良くしようと尽力してくれたので、僕は幼稚園は私立のアメリカンスクールに通い、小学校は海外で過ごし、中高は日本の私立に通った。特に幼稚園や小学校では、周りの友だちの親も同じような考えの人が多く教育熱心で、自然と友だちのレベルも高かった。バイリンガル、トライリンガルは珍しくなく、中学受験は首都圏の難関校を目指して勉強しているような友だちばかりだった。その中でいわゆる「できる子」になるために僕もまあまあ勉強はしていて、トライリンガルになれそうな道を進んでいたし、成績はいつもトップクラスだった。周りにも自分にも、見た目の欠陥は何も無い。

 

やりたいことはなんでもやらせてもらってきた。両親が子守代わりに買ったディズニーの英語教材が好きで英語に親しみ、幼稚園はアメリカンスクールに行きたいと言い出したのは僕だった。2歳の時に連れて行ってもらったオーケストラを聞いて「ヴァイオリンをやりたい」と言い出したらしく、3歳でヴァイオリンを始めた。幼稚園で友だちがピアノを習っているのを見て憧れ、4歳でピアノも始めた。小学校で周りが中学受験を志していたのに影響を受けて自分も中学受験がしたくなり、それも快諾された。大学受験に際して、超難関校を目指したので欲しい参考書が多く何冊も本をせがんだが、全て買ってもらえた。習い事の費用も学費も相当高かっただろうに、そして僕の家は医師でも弁護士でもなんでもなく世の平均収入世帯程度なのに、僕が望めばやりたいことはたくさんできた。子どもの頃も今も何も不満は無い。

 

なのになぜ、僕はこの生を捨てたくてしかたがないのか。ここまで書いてきてざっと読み返してみても、他人から見れば羨ましがられる環境だったことは確かだ。なのにどうして僕は今ひたすらに死にたいのか。

精神科領域でも、臨床心理領域でも、強い希死念慮を抱える人は皆成育歴のどこかに明らかな落ち込みがあると言われる。実際症例はいくつも見てきたが、皆成育歴の中に何かしらのくぼみがあって、客観的に見ればなるほどそれであなたはそうなっているのねと納得する。しかし僕は主観的にその落ち込みが無い。主観だからそう思ってしまうのか、客観的に見れば実はくぼみがあるのか、それはわからないのだが。

なぜ、僕が。僕は頻繁に、自分のはただの甘えなのではないかと逡巡する。

精神科救急入院20日目(退院)

※入院15日目~19日目の日記は内容が薄すぎたので割愛。ひたすらODしたい過食したいしか書いていない。

 

やっと退院した。長かった。

退院時処方を渡された時、両親が同伴していたんだが、20日分の薬を見て「お母さんそれ預かろうか」「毎日夜に薬届けてあげるから」とか言い出したので全力で阻止した。親は僕に薬を渡せば全部ODすると思っているらしい。全部が全部するわけがない。抗うつ薬なんてODしたくらいで何も起こらないし、抗精神病薬アカシジアが出るからODしない。睡眠薬だって毎日必ず必要なんだからODして余分に使うことなどしない。僕がODしているのは市販薬とたまに頓服のベンゾジアゼピンだけである。

 

ケアがごみくずで散々な病院だった。主治医ガチャに成功して主治医は良い医師だったし作業療法士も良い人だったが、看護師のケアが終わっていた。それに病棟に入院していたのは平均年齢50歳くらいの患者であり、まったく話相手がいなくて孤独だった。もう二度とこの病院には入院したくありませんね。まあ入院自体この先したくないんですが。

精神科救急入院14日目

※入院13日目の日記は内容が薄すぎたので割愛。

 

14日間閉鎖空間に監禁されるとかダイヤモンド・プリンセスの感染症騒ぎか?

 

相変わらず暇である。ナースステーションでは塗り絵用紙と色鉛筆(※なぜか16時には返却しないといけない)を貸してくれるので、気が向いた時には塗り絵をして過ごしている。謎なのは、この病棟には男女半々くらいの患者が入院しているのだが、塗り絵をしているのは女性ばかりで男性は誰も塗り絵をしていないことである。

 

この頃は好き勝手に食べ物を食べたくてしかたがない。病院食はだいたいが白米、みそ汁、焼き魚、サラダなのでとても淡白である。もちろん健康には良いのだが、味も薄いし飽きてくる。おやつが出るわけではないし、医療保護入院の僕は一人で病棟の外に出てお菓子など買ってくることもできない。もともと摂食障害の既往があることもあり、僕は食に対する執着がやや強い。好きなだけ好きなものを食べて、あとはODしてふわふわしていたい以外の感情を失っている。それができないならもう生きたくない死にたい殺してほしいとまで思う。