精神科閉鎖病棟2回目

1,2月に入院した時、病院の去り際に「もちろんここに戻って来ることはないのが一番だけど、つらくなったらここで休んでもいいからね」と言われたけれど、本当にまたお世話になるとは思っていなかった。

 

僕は今、来年入学したい大学院の入試が9月にあるのでそこに合格したくて猛勉強中で、少々ストレス負荷が高い。

それが原因なんだろうが、5月の下旬くらいから調子を崩し始めた。死にたい、殺してほしいと日記に書いてある。精神科も臨時受診してトラゾドンという抗うつ薬を増やしてもらった。でもやっぱり無理です、眠れないし死にたいし意欲低下もあるしぐちゃぐちゃですという感じだった。

 

本気で死にたくなって、首を絞めたけど頭が痛くなって吐くだけで全然ダメだった。リストカットごときじゃ死ねないのはわかっていたけれど、大量出血でもしないかなと思って、いつも横に切っているけれど血管に沿って包丁で縦に切った。でも当然死ねなかった。

 

もう耐えられなくて、入院覚悟で病院に駆け込んだ。たまたま前回入院した時の指導医がいらして、「ずっと一人でなんとかしようとしてきたんだね」「でもなんとか助けてほしくて今日来てくれた、そうでしょ?」「もう大丈夫だから、入院しよう」と言ってくださって、僕はほとんど何も話せず泣いていたのに全部わかってくださって、涙が止まらなかった。「もう、生きたくなくて」「1カ月くらい前から本当にしんどいんです」くらいしか言ってない、指導医の顔を見たらもう何も言えなくなって泣いてしまっただけなのに。

 

緊急入院で閉鎖病棟の病室がほとんど空いておらず、保護室に入った。

保護室というのはもともと危険行動から患者さんを守るために作られた個室で、隔離(要は閉じ込め)できるように扉の内側にはドアノブがついていなくて外から鍵がかけられる。病室にはベッドとトイレと天井の監視カメラ以外にはなにも無く、スピーカーもついていないので「お食事が届きました、デイルームまで来てください」「お薬の時間です、コップを持って集まってください」みたいな放送も全部聞こえない。完全に一人になる。

 

入院したら、死ねないし保護されてしまったしで考えることがなくなって、空っぽになった。生きたくない誰か殺してくれっていうアクティブな希死念慮はだいぶ落ち着いたけど、自分は無価値だし生は無為だし早く生きるのやめたいっていうゆるやかな希死念慮は相変わらず。

でもアクティブなのがなくなったから少し楽になったし、危険行為もしなそうだし、だいたい僕が授業に出たり院試の勉強をしたりするのにずっと入院しているのはちょっと良くないので、入院から14日目の今日退院してきた。

 

退院時処方はオランザピン(抗精神病薬)、リスペリドン(同)、トラゾドン(抗うつ薬)、アルプラゾラム(抗不安薬)。セルトラリン(抗うつ薬SSRIという比較的新しいやつ)は若年者で衝動性・不安焦燥などの賦活があるので中止となった。

 

これからまた社会に戻って、勉強して、院試に合格したい。倍率10倍のありえん難関だけどがんばる。